だんだんと体調を崩し始めたのは、大学4年生で研究室に配属された頃からでした。
慣れない実験や論文執筆、迫りくる締め切り、天から降ってくる終わりのない雑務。下手すると雑務だけで1日が終わってしまう。いかに雑務をこなしながら研究を進めるかというサバイバルのような生活でした。
朝は胃がキリキリするような業務メールで目覚め、夜はなかなか進まない作業にイライラしながら過ごす。寝たいのに、作業が終わらず寝られない。進捗がないと次々とやってくる催促。さらには、朝から晩まで同じメンバーと同じ部屋での作業。広く浅くの人間関係が心地よい私にとっては、濃厚な人間関係が息苦しく感じていました。
長期間胃のもたれが続いたため、内科を受診したものの特に異常はないとのこと。しばらく胃薬で様子を見ることにしたものの治る気配はありません。胃カメラでも検査をしましたが、こちらも異常なし。
しかし、下痢と動悸が続いていたため、別の病院で診てもらったところ過敏性胃腸炎と診断されました。腹部のレントゲンを撮るものの、ガスが少し溜まっていることの他は異常なし。お腹の冷えが原因かもしれないと言われて温める工夫をすることにしました。
そんなこんなしているうちに、気が付けばぱらぱらと何人か離脱していきました。そんな中で、私も限界をむかえようとしていました。
横断歩道を渡ろうとしていた時に、こちらに向かってくるトラックを見て「このままトラックがぶつかってきて、轢いてくれないかな」と頭をよぎったときは、ヤバい(汗)と思いました。
催促の連絡に耐え切れなくなり、大学から足が遠のきました。大学に行く気力も体力もありませんでした。この時は本当に疲れ切っていたのだと思います。もう卒業できなくてもいいから大学を辞めようと何度も何度も思いました。体調も、以前良かったのはいつだったか思い出せないほどに悪化していました。
これはなんとかしなくてはと思い、藁にもすがる思いで精神科を受診しました。初回の診察では、今の心身の状態や家庭環境について詳しく聞かれました。一通り話を聞いた先生から、「家庭環境に問題があるから親を連れてきなさい。」と言われました。当時は親に今の状況を知られるのが嫌だったし、家庭環境は関係ないと思っていたため、結局親を呼ぶことはありませんでした。
後々他のカウンセラーの先生からお聞きした話ですが、小さい頃に思うように愛情を受けることが出来なかった人は、大人になってからパニック障害や鬱になる確率が高いとのことでした。(後ほど記事にしようと思います。)
この時は特にこれといった病名は告げられませんでしたが、薬の内容からして鬱寸前だったのだと思います。
薬を飲んでも体調は改善せず、大学には行けないのに病院には行けるのかと責められ、論文を書き上げるまで息抜きの軽い外出ですらほとんどさせてもらえず…。
今思い出しても涙が出るほど辛かったです。周囲からはたださぼっているだけという冷ややかな視線を向けられ、毎日毎日お風呂の中で泣きながら過ごしました。
結局、なんとか卒業はしましたが心身ともにボロボロになっていました。